1対1もしくは1対2の指導をいたします。2面に仕切っているネットをとり、全面を使って指導します。
※ご希望の方はお問い合わせください。
まだまだ、いろいろな「なぜ?」があると思います。このような様々な疑問点を、なぜそうなるのかというのをわかりやすく説明し、練習・指導をします。個々にあったやり方で、週に1回、月に4回定期的にレッスンすることにより理想的な打ちかたを目指していきます。
タイミングをしっかりとることの大切さと方法、スイングバランスがよくなるポイント等、いろいろな練習を個々に合ったやり方で行い、選手としてのレベルアップを目指します。
ボールへの怖さをなくすこと、打つことの楽しさをどんどん経験してもらうため、理論よりも体で感じてもらい、スポーツで必要な感性を磨いていきます。
新しい考え方を取り入れたい選手もいれば、自分の打ち方を変えずにレベルアップをしたい選手もいるはずです。練習の前に、一人一人話し合いながら、まずは考え方・技術などを伝えていきます。そこからマシン2台とティースペースを使って、3人ローテーションでバッティングの練習をします。一番大事なことは、頭では分かっていても体がついていかないということ。練習を通じてそれを解消していきます。
野球心野球教室では、どんどん打ちたい選手には、どんどん打つスペースがありますので、練習を重ねる中で隠れていた自分の才能に気付かせ、伸ばしていくことができます。
まずは、頭で理解しイメージをもつことが大切です。次にその理解した内容を、体を使って練習していきます。反復練習を重ねてクリアにすることで、次のレベルへのステップアップとなります。さらに、次のレベルをクリアすることで、知識と経験の積み重ねとなり、試合の緊張した場面でも体が自然に動き、冷静に判断できるようになります。そのために数多く打ち、経験することが重要になってきます。
ゲームで活躍したい、レギュラーになりたいという目標をいっしょに叶えましょう。
野球では、状況に合わせたバッティングが必要になってきます。
エンドラン、バント、右打ち、犠牲フライ…
それぞれの場面に応じた実践的な打ち方を話しあいながら練習します。
バッティング練習の前後に、みなさんランニングや、ピッチングの練習をやっています。このスペースは、あくまでも自主的なもので、ちょっと早めに来て練習している生徒さんも多くなってきました。どんどん利用して欲しいですね。また月に何度かは、小池コーチによるピッチングレッスンも行っています。野球は「打つ」「投げる」「守る」「走る」全部がレベルアップすることができれば、いい結果につながります。頑張って下さい!
1対1もしくは1対2の指導をいたします。2面に仕切っているネットをとり、全面を使って指導します。
※ご希望の方はお問い合わせください。
打つ量が少ないと感じている選手、もっとレベルを上げたいと思っている選手が集中して取り組める練習施設を整えています。練習を重ねることで、必ずレベルは上がります。
松山商業高校から早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に進学。松山商で主将として1986年の夏の甲子園で準優勝に導く。この大会で、大会安打最多記録の19安打を記録し、未だこの記録は破られていない。早大では1年生のときから遊撃手のレギュラーを獲得し、4年生時には第80代主将としてチームを15シーズンぶりのリーグ優勝に導いた。
ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。2007年の引退まで主に二塁手として活躍。2001年の大阪近鉄バファローズの12年ぶりのリーグ優勝では、不動の2番セカンドで貢献した。粘り強いバッティングが持ち味だが、僅差の2位で迎えた9月17日の対西武戦での松坂大輔からの決勝打や、同年の日本シリーズ第2戦の同点ホームランを放つ等、ここ一番に強いプレーを見せた。2006年に1500試合出場を達成。引退後は打撃コーチとして、坂口智隆・T-岡田・バルディリスなど数々の選手をオリックス・バファローズに欠かせない戦力に成長させた。
通算成績
試合数 1561
安打 | 1213 | 犠打 | 279 |
---|---|---|---|
打点 | 413 | 四球 | 461 |
一軍で活躍したピッチング理論トレーニング方法をわかりやすくお伝えします!
亜細亜大学在籍中には、東都大学記録となるシーズン111奪三振を記録。この間、最高殊勲選手に2度、最優秀投手に1度、ベストナインには2度選ばれ、大学ナンバー1投手として注目される。
ドラフト会議では、野茂選手に並ぶ8球団からの指名を受けるも、松下電器に入社。そしてその2年後、大阪近鉄バファローズに入団する。
1997年には、パ・リーグの最多勝投手、1999年にはシドニー五輪の予選に日本代表選手として参加し、日本の球界を牽引。以降も、投球フォームをサイドスローに変更、先発から中継ぎに転向するなど、貴重なワンポイントとして活躍した。
1993年、大阪府岸和田市に小波津整骨院を開院。小波津式神経筋無痛療法を確立し、現在は一般の方に加え、松井秀喜・金本知憲を始めとしたプロスポーツ選手や芸能界、角界でも施術・フォームチェックを手掛ける。野球心野球教室では、トレーナーとして怪我に強い体作りのサポートを担当。